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芸術が特権階級の所有物から20世紀に大衆化し、今世紀は、より社会人類学化の要素を強めると考えている。 |
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つまり大衆化によるアートの消費から多種多様な科学との係わりを持つようになり、 |
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アートの社会的存在意義が新たに位置づけられる途中段階が現在だと考えている。 |
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舩木大輔君は昨年ギャラリーが出したテーマに沿い行った公募形式のグループショーに参加してもらった。 |
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彼の独特の立体作品は過去に見られないものであり、その造形は現在起きている社会現象を形付けている。 |
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彼の作品は、普段見過ごす問題などを「ちょっと待てよ」と思考を引き戻す力を持っている。 |
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現在、起きる複雑でやっかいな問題には関りたくなく忘れたいが、それは許されないことだ。 |
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彼の作品を見た人は、返済できないかもしれない借金地獄の日本にいても係わりを持とうとしない自分を自覚するだろう。 |
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舩木大輔君の作品はそんな意味でアヴァンギャルドだ。 |
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アートが今後の新しい人の考え方や価値観の創造のために必要不可欠であるという理屈をコミカルに表現し、 |
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サブカルとアートのボーダーレス化を感じさせてくれるアーティストであると考え、皆様に紹介した所存です。 |
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ディレクター 関 和宏 |
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カジュアルコミット |
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もっと気軽に自分以外の人や事象と関わろうというわけである。僕は芸術は未来を造る事だと思っている。 |
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よって、作品は常に世の中の過去と現在にコミットしている。
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僕には、芸術は人々に“気付き”をもたらす新しいメディアになりうると言う想いがあるのだ。
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インターネットが出て来た時に、これ程までにコミュニケーションツールとなりうると確信していた人がどれ程いただろう。
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ネットメディアが新聞・テレビメディアを凌駕する存在になると、どれ程の人が予想できたであろう。
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同じように、芸術もメディアとなり、人々に“自分以外の存在(人・モノ・事象)”の気付きをもたらす事ができるのである。
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その“気付き”がまさしくカジュアルコミットのきっかけとして作用する。
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震災以降、日本人は政府に頼らず(頼れず?)個人個人で考え、結論を出し、行動する事が求められるようになってきた。
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日本だけではない、大きくまとまった状態から、より小さい単位へと変化していく現象は、
ユーロ解体論の浮上や、 |
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オバマ大統領の就任演説から日本以外でも起こっていると想像できる。
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そして、その現象は文化や産業、芸術にも言える。
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日本では産業は衰退し、文化はネットを中心に発信側も受けて側も、個々がそれぞれ行動している状態だ。
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先日亡くなったスティーブジョブズは、多くの革新的なイノベーションを既に存在した技術を組み合わせる事で実現し、 |
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人々に全く新しい体験をもたらした。
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現代は、ある一つのジャンルに限って突き進むのではなく、いかに自分の立ち居地の外側にあるものとコミットし、
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互いの優位性を高め合い、また弱点を補うという事が人々に新しい体験をもたらし、
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新しいイノベーションとなっていくのではないか。 |
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日本は多用な価値観を認め、多用な文化を受け入れ、ハイコンテクスト社会からローコンテクスト社会、 |
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ハイコミュニケーション社会、
ハイエデュケーション社会を目指すべきだ。 |
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日本の中は細分化されて分散し、散り散りになってしまった。
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芸術は作家が個々想いすらも自家発電し、益々疲弊しかねない。
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作品の多様性は多いほど良く、個性も様々な方が面白い。 |
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しかし、アートは文化の最たるモノである。 |
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過去と現在を結び、それによって現代の人々に気付きをもたらし、
そして未来の国家、 |
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世の中を造っていくのであると言う目的を持つべきである。 |
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舩木大輔 |
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